今回は、昨秋の数日間のハワイ滞在を色分別をしながら制作表現を試みました。
「ワイキキビーチ」
1970年代米国で生まれた子供達は80年代に日本へ帰国する。当時の日本では、帰国子女の学校教育受入れ態勢は、一般的には不十分で、彼らはそれなりにカルチャーショックを受けながら生長していく。その中で子供達も各自独立し、ハワイワイキキビーチで結婚式を挙げた。私は、母として成長した子供たちを誇りと喜びを感じ、その時の気持ちを表現した。
「リメンバーパールハーバー」
1970年代ニューヨーク生活を始めた年の12月から、私は日本人で有ると意識せざるをえない外国暮らしが始まる。ここでは毎年12月に入るや否や、テレビのニュース番組は、日本がパールハーバーを奇襲した映像と共にアナンサーが、「リメンバーパールハーバー」を繰り返し伝える。そして子供達は、学校で突然「お前が悪い」と口々にののしられる。しかし12月の13日が過ぎるとテレビ放映は楽しいクリスマス番組に変わり、子供たちもも日常の穏やかなものとなる、パールハーバーを訪れた昨秋、青春時代子育て中の思い出がよみかえった。その時の気持ちと、戦争につて考えながら色は分からなかった。折りしも汎美展会期中3月11日東北関東大地震が起きた。その後原発の事故が続き人間とは何か。
「炸裂」
ホテルの前の海岸を日の出を見ようと散歩していた。砂上に切り落とされたヤシの枝や実があった。そこでたくさんのヤシの枝や実を広い砂上に立てたり転がしながら、今、私は青春時代のひと時を過ごした同じ国内にいる。ふと、9月11日のニューヨークツインタワービルの爆破テロを思った。私のその朝の砂上の芸術作品は、直ぐに壊された。形有るものはいつか壊れる。自分の絵の表現が、最近他人に良く見せたいと傾きかけている。青春時代の我が道を行く。他人に良いと思われなくとも私は私の作品を描きたい。でもテロはいけない。いつの間にか、太陽が海上を照らしていた。そんな気持ちの表現を造形した。
「祈念」
ハワイ熱帯植物園で、この大きな植物を目にした時、すぐ頭の中に日本の数珠玉を連想した。これからの宇宙平和祈念をテーマに表現したかった。だが今だ自分自身が制作課程に迷い、自身の欲と戦っている日常である。戦争の無い国で絵が描けることに感謝して、いつか私の作品が、穏やかな美しき作品と表現が出来るまで、私は向上心を忘れずに勉学にはげみたい。そして遠い未来までと思いつつ作品を造った。
「ジャングルの誘惑」
今回の作品を造る中で黄色を主体色としてのテーマを探し表現してみたが、色を作る事やその他で決まらず最後まで発表すべきか否か迷った。
マノアの滝のトレッキング中、前日の大雨で山道はドロドロとぬかるみ熱帯雨林の気候で大きなアブの様な虫に体中触られ、ただ滝が見たいと歩き続け、滝の入り口に着いた時、私は妖精が見えた。そしてその時の表現をした作品である。